事業会社マーケターのさんぽ道

事業会社のマーケッターがメディアやブランディングについて寄り道散歩。

収集した情報という種子を、思考として芽吹かせるたった1つのさえた方法

インターネットの世界が好きすぎるため、一日中Webブラウジングをしたり、スマートフォンをいじったりしていても飽きることがない。むしろ「自分がまだ知らない世界がごまんとある事実」に対する知的好奇心が尽きない。だからこそハマってしまうし、人はこれを中毒と呼ぶのだろう。

ただ、時々無性に息が詰まる――。

インターネットで伝わってくる無限の情報に接している割に、それを受け取り、活用するはずの自分自身との対峙、会話がない。情報によって満たされるのは知的好奇心のみで、それが使えるようになっている、血肉になっているという確かな感触が得られない。

あ、知らぬ間に築いてたインターネットの檻に支配されちゃってるな、と思う瞬間だ。そのたびに心を痛める時代じゃないけれど、息が詰まってしまったときにすべきことはたった1つ。外に出よう、歩こうということだ。

知的好奇心から得た情報という種が芽吹くには

外にでてみれば、歩いてみれば、その効用はすぐに実感できる。さっきインターネットの世界で仕入れた種々の知的好奇心たちが、考えること、思考することの種となって、次々に芽吹いてくる。人間は考える葦だということを痛感せざるを得ない瞬間だ。

何言ってるか分からないでしょ。とにかくパソコンやスマートフォンから離れて歩いてみて。歩く場所はどこでもいい。近所の路地裏、河川敷のほとり、最寄りの駅までの別ルート、なーんでも。

すると、泳ぎ疲れるくらいの思考の洪水にみまわれる。1分前の自分は考える意思なんてまったく持ちあわせていなかったのに、いつの間にか油をさしたギアのように頭が回転し出すから。

情報を遮断したその時から、あなたの頭は回転し出す

面白いもので、人の思考がもっとも鋭敏になるのは、情報から一定の距離を置いたときだ。情報を遮断すると、頭が勝手に思考を始める。「ちょっと待て」と抑止しても時既に遅しである。

情報に囲まれているときは真逆だ。まったく思考が進まず、頭の回転が鈍りだす。それでいてどんどん新しい情報がたたみかけてくる。結末は情報の洪水に飲まれ、溺死してしまう。つまり、何も考えていない。

「考えるときはパソコンから離れて、一人会議室にこもる。情報を遮断することこそ、考えるための最良の状態だ」

とある方にいただいた素敵な言葉だ。そうそう、情報を遮断した人にだけ思考モードという福音がもたらされる。行き詰まったと感じたら、PCをシャットダウンし、スマートフォンをソファに放り投げ、家を出てみよう。

心身を物理的なネット環境から解き放った先にあるもの

外に出ること、歩くことで、ただちに頭がデフラグされる。歩くといった形で身体を動かすこと、普段のデスクや部屋から心体を解き放つことも、思考を深化させる相乗効果になるようだ。

もうお分かりだと思う。なぜこんなブログを書いているのか。小一時間ほど河川敷やジョギングコースを周遊しているからだ。今、貴重な時間を投資して目にしていただいているこの文章は、思いもよらず育ってしまった思考のかけらをちょっとずつたぐり寄せ、形にしたものである。

30分前にはこんなブログを書くなんて1ミリも思っていなかったのだから、なるほど人間の考える力は枯渇することを知らない。

 

考えない練習 (小学館文庫)

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