Webとソーシャルメディア、その距離感
コンテンツの質を決める材料の1つとして、ソーシャルメディアによる共有と伝播が加わってきた。有象無象のコンテンツから価値あるコンテンツを素早く探し出したいという欲求は誰にでもあるはず。Webをもっと有益な場所にするために、いいと思ったものは積極的に流布させるようにしていたともいえる。
ソーシャルメディア上を駆けめぐるさまざまな人のアクティビティを追いかけている暇がなくなった。リアルタイムに流れてくる知り合いの日々のかけらに反応するのは楽しいが、ともすればそこに時間をつぎ込みすぎてしまうきらいがあった。相互による「いいね!」や「リプライ」の応酬は時に時間を忘れて熱中してしまうものになるが、それよりも自分発信で何かを生み出したいという気持ちが高まってきた。
人が作ったコンテンツを共有することに多くの時間を割くことを辞め、自分発信のコンテンツを1つでも多く作っていこうと思うようになるにつれて、ソーシャルメディアに書きこむ頻度が少なくなっていった。
おかげさまで、毎日のブログの執筆が半年以上積み重なった。思考の断片をまとまったログとして残し、いつでも見返せるようになった。書くことで自分と対話をする。漠然と考えていたことを言葉にすることで、思考はより一層明確になる。次に同じ仕事をしたり考えをアウトプットしたりするときに、再現性を保てるようになった。これはソーシャルメディアへのアウトプットだけでは得られなかったものだ。
ソーシャルメディアに対して、いかに脊髄反射的なアウトプットをしていたかが今になってよく分かる。アウトプットの定義は、まとまった時間で数多く思考し、それを1つのコンテンツとして発信することとなっていった。
今年はさまざまなイベント・勉強会に参加する機会があった。そこで何かしらの気づきを得た場合は、必ずブログにアウトプットを残す。イベントのハッシュタグを付与してTwitterでシェアすると、運営担当側や登壇者に直接感想を届けることだって簡単にできてしまう。直接会って話をすることもさることながら、自ら生み出したコンテンツを相手に届けることで、対面以上の印象を与えられることもある。
ソーシャルメディアが一般的になったからこそ、ブログをはじめとするまとまったコンテンツは一層力を発揮する。今はブログを書いた分だけ、メリットが得られやすくなっている。私はもっと、知り合いの人の熟考のあとが見て取れるコンテンツをたくさん読みたい。もっと、みんなの自由な表現を感じたい。
この1年間で、Webを通じたアウトプットの型が大方完成した。「ブログ=アウトプット」「Facebook=Lifelog」「Twitter=共有」という目的を持ち、ブログ、Facebookはプライベート(私)、Twitterはパブリック(公)に情報を発信する場として活用していく。そして、ブログに多くの時間を使いたい。個人の所感に加え、仕事の専門分野について書くことも増えるだろう。2012年、Webとソーシャルメディアは今よりずっと面白くなる。